2014年12月30日火曜日

仙人生活を強化するつもり

平成30年6月30日(土)更新

(1)


わたくし迷物講師は、生活が不安定な請負講師じゃなく、出資者のご機嫌取りをする必要も全然無い人間です。

企画 → 執筆 → 印刷 → 製本 → 販売 → アフターサービスを全部やってる六次産業の親分、それが迷物講師なんだぞ!

こんな事長くやってると、当然年を取ってくるし、それにつれて「金儲けが空しくなる」のが、人間の成長の姿なのでしょうか?

(2)


そんなワケで、特に原発事故以来、生活時間の8割を哲学的思考にあてるようになってます。

それにつれて、船橋の仙人をますます周囲に喧伝(けんでん)するようになりました。

(3)


最近では、

・人間は生物である
   ↓
・生物は物質で構成されている
   ↓
・したがって、人間は物質で構成されている

なんていう思考を深めるのが生きがいになってます。

人間が物質で構成されている」ことを深めると、人間もコンピュータも変わりないじゃん!

人間の行動を制御する脳波は電流だし、そもそも人間の体全体が電気・磁気・元素(水素・酸素など)に影響されてるし…。

0・1・2・3…の数学だって人間が創作したものに過ぎないし、宗教だって同じ…。

時空(時間と空間)だって、そういう言葉使ってるのは人間の便宜のためだろうが…。

それで矛盾が生じてヤバクなると、数学者は無限という言葉で周囲をケムに巻き、宗教家は(む)とか(くう)とか言い出してさらなる修業を求める 

以上「物質は生命や精神と対比される概念」という世界の常識に反する事を考えるのが、何にも増して、最近のわたくしに幸せ感をもたらせてくれているのであります。

2014年12月17日水曜日

いつもの面々

(1)時代が変わったのは最近なの?


2015年用講座作成が一段落したので、各種ブログやSNSを一通り読んでまわりました(宅建関係に限りません)。

なぜか「いつもの面々」にしか出会えません。
内容も、代わり映えしません。
そのわりには、「時代は変わった!」を強調する「いつもの面々」…。

しかも時代が変わったのは最近、という論調がやたら目立ちます。

(2)昔から時代は変わってた


「時代は変わった!」なんてぇのは、私の体験では、高度経済成長期(1954年-1973年)から、ずっとそうだったんです。

いや、文献によれば、明治時代からそうだったらしい…。

「時代は変わった!」と声高に叫ぶのが上手だった作家や評論家たちが、明治以来の「いつもの面々」の仲間入りを果たしました。

そして、その一部の著作が古典と呼ばれるようになったのでしょう。
鴎外も漱石も、私に言わせりゃ明治時代の「いつもの面々」です。

(3)パクリ


調べてみると判ります。

ブックオフでも、運が良ければ、1970年代までの古本を格安で見つけることが可能です。

神田の古書店を冷やかしてみれば、現代の「いつもの面々」のネタ本なんか、腐るほど見つかります。

各種ブログやSNSをやってる人って、パクリをパクリと悟られない文章力で飯を食っているんと違うんかい!?

(4)閑話休題


話を私の本業に戻して一言。

2015年試験から、宅地建物[取引主任者]が宅地建物[取引士]に変わります。

この点について、「時代は変わった!」を強調する「いつもの面々」(宅建関係に限ります)の論調に翻弄されると、結果が凶となる確率が高まる、と私は考えます。

法律勉強の王道は、明治以来、何も変わってないんですヨ!

2014年12月16日火曜日

グーグル高貴論と予備校不要論

グーグルはいろいろな人の集まりに過ぎず、私たち生身の人間のように一個の人格が有るわけではありません。

いわゆる予備校と言われるものも、しかりです。
講師その他の集まりに過ぎず、一個の人格が有るわけじゃないです。

しかしグーグルも予備校も、そこに一個の人格が有ると擬制する(なぞらえる)と、私には納得できる部分が多々あります。

以下、私が考えている仮説を披露します。

(1)グーグル高貴論


第一に、グーグルは公平です。
日本のポータルサイトのように、誰かに対してエコヒイキしません。

第二に、グーグルは無私です。
自らが権力を保持していることを自覚しているがゆえに、その権力を自分のために使うことはしません。

第三に、グーグルは人間の苦労を尊重します。
逆に言えば、近道しようとする人間を尊重しません。

以上、グーグルに一個の人格が有ると擬制すると、グーグルにはヨーロッパ貴族のような高貴な匂いがします。

(2)予備校不要論


第一に、予備校は公平とは限らないです。
講師は自分の親衛隊である受講者には、とかくエコヒイキしやすいです。

第二に、予備校は無私とは限らないです。
自らが権力を保持していることを自覚していないがゆえか、その権力を自分のために使うことがシバシバです。

第三に、予備校は人間の苦労を尊重しないです。
むしろ、苦労を嫌って近道しようとする人間を応援します。

以上、予備校に一個の人格が有ると擬制すると、予備校にはヨーロッパ貴族のような高貴な匂いがするどころか、怪しい匂いさえ漂います。

(3)でも頑張る


今回の記事は、一介の講師が考えている仮説に過ぎませんが、この仮説に賛同してくれる方がいらっしゃったら、怪しい匂いさえ漂う予備校に長年関係してきた者として、恥ずかしい限りです。

わが国にはノブレス・オブリージュの伝統が無いとはいえ、宅建倶楽部だけは不要論を唱えられないよう頑張りますです。ハイ!

2014年12月1日月曜日

スマホの普及と宅建の勉強との関係

更新:平成27年8月19日

(1)

きのうの日曜日、このブログのOS(Operating System)別ページビューは、
 ・ iPhoneから… 41パーセント
 ・ Androidから…37パーセント
と、スマホからの閲覧が8割近くを占めてました。

それで私の周囲を見回してみて、改めて思いました。

それは、スマホの普及に伴って「長文を読むのに苦労」してる人がスゴク増えてるんじゃないか?ということ…。

スマホの小さな画面で長文を読めるのは、かなり若い人に限られるのではないでしょうか?
40歳を過ぎると、スマホでの長文読解には、相当なストレスを感じるはずですが…。


(2)

総務省の 平成25年通信利用動向調査 でも、平成25年末の普及率は、
 ・ スマートフォン……62.6パーセント
 ・ タブレット型端末…21.9パーセント
となってました(調査時期:平成26年1月~3月、対象地域:全国)。

(3)

宅建は、日本語の長文読解力が勝負とも言える試験なので、「スマホの普及は宅建の勉強には不利に働く」というのが私の診立てであります。

小さい画面で長文を読むのは夜の暗い街燈の下で何かを見つめるのとまったく同じ
全体像を見にくいのが何よりも怖い

これは日本語読解力に自信のある受験者にも本試験では意外な影響を及ぼしてくるでしょう

タブレットが普及してくれば、ほんの少しは改善されるでしょうが、そうするとまた別の問題が生じます。

携帯性の悪さですね(私の2人の子どもたちのように、スマホ2台タブレット1台を常に持ち歩く人が増えるかな?)。

私のように、仙人みたいな日常を送っているなら、ガラケーだけで済ませることも可能でしょうが、大多数の皆さまはそうはいかないでしょう。

(4)

平成27年度の宅建士試験を受ける予定の方は、「スマホの普及は宅建士の勉強には不利に働く」ということも考慮して、戦略を立てて頂ければと思います。

ま、日本語の長文読解力が勝負とも言える宅建試験であれば、(いにしえ)に戻って、紙文書(例:紙の参考書)にもっとウエイトを置くとかイロイロ方法があるので、ご自分なりに考えてみるべきではないかと…。