(1)イントロ
民法を教える者にとって、一番気を使うのが「意思表示」という言葉です。
実力が一瞬でバレてしまうのが、意思表示の使い方だから…。
(2)ネット上
一番ひどいのが、「意思表示」を「意志表示」と書いたまま平然としている先生。
さすが最近はいなくなったかな? と思ってネットで調べてみたら、まだ結構いました。
Google で 宅建 意志表示 と検索してみると分かります。
ちなみに、日常用語なら「意思」と「意志」を明確に区別しなくてもいいです。
例えば、ソチ五輪でメダルをとれなかった選手が、「次は金メダルを取る」と記者会見で語った場合、それを記事にする新聞記者は、※※選手は「次回金メダルの意思を表明」と書いても、「次回金メダルの意志を表明」と書いても、国語的には両方正しいです。
ただ、その選手の志(こころざし)を強調したい場合は、「意志」と書くことが慣例化しているに過ぎません。
(3)法律学辞典
ま、それはともかく、私の場合は「意思表示」の意味を受験者の皆さまにやさしく教えるのに、一番気を使います。
法律学辞典を見てみると、
【意思表示】
… 一定の法律上の効果の生ずる事項を欲しかつその旨を表示する行為。
って書いてあります(有斐閣:新法律学辞典)。
ちょっと堅苦しいですね!
(4)国語辞典
じゃあと、国語辞典を調べてみたら、
【意思表示】
… 自分の考えを他人に示すこと。
って書いてありました(岩波書店:広辞苑)。
堅苦しさがとれて、日常用語になってますね!
(5)でも、国語辞典だけじゃ宅建試験には使えない
でも、国語辞典に書いてあった、
・ 意思表示 … 自分の考えを他人に示すこと
を知っているだけじゃ、宅建には通用しません。
って言うか、民法が出題される法律系資格試験には全然使えません。
その意味で、私が一番気を使うのが「意思表示」なんです。
(6)なぜ使えないか
国語辞典に書いてあった、意思表示を二つに分解すると、
A 意思 … 自分の考え
B 表示 … 他人に示す
となりますね。
でも上の、
A 意思 … 自分の考え
という部分が、法律的な意味としては不正確で、使えないんです。
例えば鈴木さんという人が、「私は迷物講師が嫌いである」という「自分の考え」を、ネット上の掲示板で他人に示す場合、これを「意思」と書いちゃ法律用語としてはダメなんです。
つまり、鈴木さんが2ch(2ちゃんねる)に、「私は迷物講師が嫌いである」と書き込んでも、法律上はそれを「意思表示」とは呼べません。
なぜだと思いますか?
「私は迷物講師が嫌いである」という考えには、「そうしたいという思い」(要求・欲求・希望)が含まれていないからです。
「私は迷物講師が嫌いである」という考えには、鈴木さんの感情は含まれていますが、迷物講師をぶん殴りたいとか、迷物講師を辞めさせたいとかの要求・欲求・希望(「そうしたいという思い」)が含まれていませんよね!
(7)意思表示に要求・欲求・希望が必要な理由
じゃなぜ、意思表示の「意思」には、要求・欲求・希望(そうしたいという思い)が含まれる必要があるんですかね?
封建時代じゃないからです!
封建時代には、人々の要求・欲求・希望なんて滅多に叶えられませんでした。
民衆の生活は王様・殿様の言うなり。職業選択の自由はないし、不動産の売買も自由には出来ず、結婚だって親の言うなり…。
逆に言えば、希望もしないのに、私生活上の何かを強制されていたのが封建時代です。
この封建時代がフランス革命(1789年)で終わりを告げ(民衆が自由・平等を獲得し)、近代社会になりました。人々の要求・欲求・希望(そうしたいという思い)が叶えられる社会になったワケです。
わが国も、明治の始まり(1868年)から徐々に近代社会を輸入してきました。
皆さまのテキスト・参考書に、ここが民法の基本ですよ~と書いてある、「私的自治の原則」「契約自由の原則」というのは、他人に示された(表示された)、人々の要求・欲求・希望(そうしたいという思い=意思)を近代国家である日本国が応援してあげるよ! という制度のことを指すんです。封建時代じゃないんだから…。簡単な話でしょ?
ま、現在の民法は、その制度(「私的自治の原則」「契約自由の原則」)を根っことして、その上に生えている幹(みき)といったイメージですね!