2014年2月28日金曜日

意思表示

(1)イントロ


民法を教える者にとって、一番気を使うのが「意思表示」という言葉です。
実力が一瞬でバレてしまうのが、意思表示の使い方だから…。

(2)ネット上


一番ひどいのが、「意思表示」を「意志表示」と書いたまま平然としている先生。

さすが最近はいなくなったかな? と思ってネットで調べてみたら、まだ結構いました。
Google で 宅建 意志表示 と検索してみると分かります。

ちなみに、日常用語なら「意思」と「意志」を明確に区別しなくてもいいです。
例えば、ソチ五輪でメダルをとれなかった選手が、「次は金メダルを取る」と記者会見で語った場合、それを記事にする新聞記者は、※※選手は「次回金メダルの意思を表明」と書いても、「次回金メダルの意志を表明」と書いても、国語的には両方正しいです。
ただ、その選手の志(こころざし)を強調したい場合は、「意志」と書くことが慣例化しているに過ぎません。

(3)法律学辞典


ま、それはともかく、私の場合は「意思表示」の意味を受験者の皆さまにやさしく教えるのに、一番気を使います。

法律学辞典を見てみると、

【意思表示】
… 一定の法律上の効果の生ずる事項を欲しかつその旨を表示する行為。

って書いてあります(有斐閣:新法律学辞典)。

ちょっと堅苦しいですね!

(4)国語辞典


じゃあと、国語辞典を調べてみたら、

【意思表示】
… 自分の考えを他人に示すこと。

って書いてありました(岩波書店:広辞苑)。

堅苦しさがとれて、日常用語になってますね!

(5)でも、国語辞典だけじゃ宅建試験には使えない


でも、国語辞典に書いてあった、
 ・ 意思表示 … 自分の考えを他人に示すこと
を知っているだけじゃ、宅建には通用しません。
って言うか、民法が出題される法律系資格試験には全然使えません。

その意味で、私が一番気を使うのが「意思表示」なんです。

(6)なぜ使えないか


国語辞典に書いてあった、意思表示を二つに分解すると、
  A 意思 … 自分の考え
  B 表示 … 他人に示す
となりますね。

でも上の、
  A 意思 … 自分の考え
という部分が、法律的な意味としては不正確で、使えないんです。

例えば鈴木さんという人が、「私は迷物講師が嫌いである」という「自分の考え」を、ネット上の掲示板で他人に示す場合、これを「意思」と書いちゃ法律用語としてはダメなんです。
つまり、鈴木さんが2ch(2ちゃんねる)に、「私は迷物講師が嫌いである」と書き込んでも、法律上はそれを「意思表示」とは呼べません。

なぜだと思いますか?

「私は迷物講師が嫌いである」という考えには、そうしたいという思い」(要求欲求希望)が含まれていないからです。

「私は迷物講師が嫌いである」という考えには、鈴木さんの感情は含まれていますが、迷物講師をぶん殴りたいとか、迷物講師を辞めさせたいとかの要求・欲求・希望(「そうしたいという思い」)が含まれていませんよね!

(7)意思表示に要求・欲求・希望が必要な理由


じゃなぜ、意思表示の「意思」には、要求欲求希望(そうしたいという思い)が含まれる必要があるんですかね?

封建時代じゃないからです!

封建時代には、人々の要求・欲求・希望なんて滅多に叶えられませんでした。
民衆の生活は王様・殿様の言うなり。職業選択の自由はないし、不動産の売買も自由には出来ず、結婚だって親の言うなり…。
逆に言えば、希望もしないのに、私生活上の何かを強制されていたのが封建時代です。

この封建時代がフランス革命(1789年)で終わりを告げ(民衆が自由・平等を獲得し)、近代社会になりました。人々の要求欲求希望(そうしたいという思い)が叶えられる社会になったワケです。
わが国も、明治の始まり(1868年)から徐々に近代社会を輸入してきました。

皆さまのテキスト・参考書に、ここが民法の基本ですよ~と書いてある、「私的自治の原則」「契約自由の原則」というのは、他人に示された(表示された)、人々の要求欲求希望(そうしたいという思い意思)を近代国家である日本国が応援してあげるよ! という制度のことを指すんです。封建時代じゃないんだから…。簡単な話でしょ?

ま、現在の民法は、その制度(「私的自治の原則」「契約自由の原則」)を根っことして、その上に生えている幹(みき)といったイメージですね!



2014年2月27日木曜日

弱者は、強者と敵対関係にあるべきか?

(1)イントロ


世の中には強者と弱者がいます。
何について強者か弱者なのかは、無数に分類できるでしょうが、典型的には、

 ・ 人種における強者と弱者 … 例:白人は強者とされる
 ・ 信条における強者と弱者 … 例:共産主義者は弱者とされる
 ・ 性別における強者と弱者 … 例:女性は弱者とされる
 ・ 身分における強者と弱者 … 例:国会議員は強者とされる
 ・ 家柄における強者と弱者 … 例:親が強者だと子も強者とされる

といった所でしょうか?

(2)強者からのメッセージ


全知全能の神が登場した後も、また、わが国では天皇家によるヤマト統一後も、強者から弱者へ向けて、数々のメッセージが発せられてきました。

民は生かさず殺さず!」が、強者の根本理念だからです。
これは、今でも脈々と受け継がれていて、洋の東西を問いません。

民(民衆)は、「生かしてしまったら自分が強者から転げ落ちる!」し、「殺してしまったら搾取できなくなる!」という事です。

でも科学の発達と共に、単なる「民は生かさず殺さず!」ではやって行けない事を、強者は悟ります。
こりゃ、もっと弱者に配慮してやらないと、やって行けんわい!」となって来たのです。

科学の発達度に比例して、民が「自然に対する恐怖心を失ってきた」からでしょう。
だんだんと自然を怖れなくなってきた民は、人間としての不満の矛先を、その時々の強者に向けるようになりました。

その象徴的な出来事が、18世紀後半のフランス革命だと思います。
「パンがないならケーキをお食べ!」なんていうマリー・アントワネットの配慮は、既に陳腐化していて、最後はギロチンに掛けられちゃいました。

この惨状を見ていた世界中の強者は、「こりゃ、もっと弱者に配慮してやらないと、やって行けんわい!」と肝を冷やしたことでしょう。

結果、フランスでは自由・平等・博愛を旨とする人権宣言が発せられ、強者からのメッセージの集大成とも言うべきものが、わが国では日本国憲法14条1項になりました。こんな条文です。

第14条
1項
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地(もんち・筆者注:家柄のこと)により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

なお、この日本国憲法の条文、実は全部が、戦前の帝国憲法(明治憲法)の改正法です。
「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」なんて書いてあったのが、帝国憲法です。

だから、上の日本国憲法14条1項は、あくまでも「強者からのメッセージ」と言えるのです。

※ 参考 日本国憲法の制定文

朕(ちん・筆者注:昔天皇は自分のことをこう言った)は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

(3)迷物講師の学説(?)


重要なのは、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と書いてある日本国憲法14条1項は、あくまでも「強者からのメッセージ」に過ぎないという事です。

強者の根本理念は、洋の東西を問わず、今でも「民は生かさず殺さず!」です。

ただ昔と違って、「こりゃ、もっと弱者に配慮してやらないと、やって行けんわい!」という強者の悟りが、強者ごとに微妙に違ってきているのは確かですが…。

昔の悪代官よろしく「全然弱者に配慮しない強者」もいるかと思えば、「仏様みたいな強者もいることはいる」という現状認識が、迷物講師の学説(?)です。

(4)弱者からのメッセージ


「民は生かさず殺さず!」が微妙に変化してきたのが「強者からのメッセージ」として、古来、弱者からはどんなメッセージが発せられてきたのでしょうか?

何も発せられなかったに等しいです。

当然と言えば当然でして、メッセージを発するには学問・教養が不可欠でしょう。
字も読めない、教養を身につけるお金もない民が、日本国憲法14条1項のようなメッセージを発するのは不可能です。

夏目漱石・宮沢賢治・太宰治などが発した弱者の立場からの文学的メッセージだって、疑わしいです。そもそも彼らの門地(家柄)は強者です。名主や造り酒屋の家系だからこそ、学問や教養を身につけることが出来たんだし…。

メッセージを発することができない民は、日本流に言えば、百姓一揆や米騒動という暴力に訴えました。しかし、それもほんの一部に過ぎません。

大多数の民はせっかく人間として生まれてきたのにその不満の矛先を誰にも向けることなく黙って一生を終えて行ったんですよ

(5)だったら、どうすればいいの?


強者と弱者は敵対関係にあるという発想を改めよう

そうすれば、百年後・千年後を見すえた人類の幸福につながります。
私が昔から考えていた事です。

そして両者の敵対関係を改める一番いい方法は…
 弱者が強者をソロバンで説得する
事です。
初期の説得は、これがベストだと今でも考えています。

何しろ、「民を殺してしまったら搾取できなくなる!」というのが、脈々と受け継がれてきている強者の根本理念なので、「そんなことないですよ弱者にもっと配慮してやればもっともっと儲かりますよ」、とソロバンで強者を説得するんです。

例えば、「パラリンピックはオリンピックと同時開催しましょうよ。そうすれば、2020年東京五輪の視聴率なんて、1964年のそれをきっと超えますよ。ビッグ・データをスーパーコンピュータで解析してみれば分かりますよ!」、と近代五輪の家元であるヨーロッパ貴族等を必死で説得するんですね。

ついでに、「2020年の頃は、経済格差がもっと開いているので、入場券をこれだけ安くすれば、ソチ五輪のように空席が目立つこともなくなるから、一石二鳥じゃないですか!」と、やっぱり必死で説得するんです。

この説得、もちろん東京五輪だけじゃないです。
現在強者が握っているとされる、あらゆる経済活動に効き目があります。

話を小さな小さな経済活動に振ると…
私の行動にも、「弱者が強者をソロバンで説得する!」面が隠されています。

例えば、迷物講師が独学を推奨すれば、強者(大手予備校)も「自社でも独学をキーワードにするとソロバン的にどうか?」を考えてくれたりします。

さらに、頼まれもしないのに、宅建倶楽部では大手予備校にリンクを張っています
これも実は、「弱者が強者をソロバンで説得する!」手段なんですね。

宅建倶楽部からのリンクをたどって15万円の講座が少しでも売れれば、資本という力が弱者である宅建倶楽部に「もう少し配慮してやってもいい!」と考える可能性が高くなります。
これは最近私が発明した、「ネット上での無言の説得」というやつです。

以上のように、
 ・ 弱者が強者をソロバンで説得する!
という初期の説得が進んできたら、次は二番目の手段(ソロバン以外の手段)で、
 ・ 弱者が強者を説得する
のがいいです。

と、ここまで書いてきてそろそろ話をオシマイにしますが、二番目の説得手段(ソロバン以外の説得手段)は、いろいろな可能性(アイディア)が有り過ぎまして、皆さまに発表する段階じゃないです。

それより、これだけネットが発達してきた今、皆さまとしても、
 ・ 弱者が強者をソロバンで説得する!
もっと強力な手段を考案してみてはいかがでしょうか?

逆説得(ぎゃく・せっとく)に当たる不買運動くらいじゃ、「こりゃ、もっと弱者に配慮してやらないと、やって行けんわい!」という強者の心をさらに促進させることは、不可能だと思いますよ!
強者は、「人のウワサも75日」と嵐が過ぎ去るのを待つだけなのは、歴史の教えるところです。

2014年2月25日火曜日

オリンピックとパラリンピックは同時開催せよ!

「…ソチ五輪でのアスリートには感動しましたね…」
「…引き続き行われるパラリンピックも応援しましょうね…」

上は、私が思っている事じゃないです!
ほぼ全部のマスコミの論調であり、それに引きづられた一般ブロガーの発言です。

みんな発想が貧弱だなあ~!

そもそも、オリンピックとパラリンピックが同時開催されない理由が、私には全然分かりません。

だって、人類は「みな平等」なんでしょ?
「んな事ねえ~」って言える日本人は、一人もいませんよね!

だったら、解決策としては、
 1.同時開催する
 2.パラリンピックという名称等を廃止する
 3.オリンピックという名称等を廃止する
 4.両方の名称等を廃止する
の四択が有り得ますが、1.を選択するのがバランス的には妥当じゃないか、と迷物講師は考えるワケです。

2020年に東京で開催される大会、「健常者男子100m決勝の次は、車椅子男子100mの決勝!」なんて素晴らしいと思いませんか?

パラリンピックの基礎知識 - Wikipedia

2014年2月24日月曜日

Real Player を速攻で削除

「再生プレーヤー、動画ダウンローダー、ファイル形式変換ソフト、編集(トリミング)ソフトとして最高水準にあるのは、今は Real Player ですよ! しかも無料!」。

スタッフのそんなアドバイスを真に受け、3日前に、「私専用のパソコン」に Real Player を入れました。

でも今日、「私にはやっぱり向いてない!」と速攻で削除しました。

(1)一番目の理由


一番目の理由は、宣伝がウザイ事。

太平洋戦争に負けた後の日本が、吉田茂・岸信介元首相以来の親米路線を踏襲したお陰で、今の繁栄があるのは百も承知です。

でもね、バカヤロー解散の吉田さんも、妖怪と言われた岸さんも、「他人のフンドシで相撲を取ってまで繁栄しろ!」とまでは言わなかった、と思うワケです。

そうなると、こっちが一生懸命になって法律の条文を調べてる矢先に、「にょこっとモニターの右端に宣伝が現れる仕掛け」、こういうReal Player の仕掛けをもって、私にはどうしても「宣伝がウザイ」と感じてしまうんですね。

皆さまが「いい過去問解説をしてくれる無料サイトなのに、アフィリエイトがウザイ!」と感じてしまうのと同じ感覚です。

(2)二番目の理由


二番目の理由は、「私専用のパソコン」では動作が重くなってしまう事。

Windows XP のサポートが今年の4月9日で終了する(その後はウイルスに感染しても知らないよ!)という発表がマイクロソフトからあった頃、宅建倶楽部のサイトにアクセスして下さる皆さまは、Windows XPからが結構多かったです。

XP は、メモリーの容量が少ないのが主な理由で、Real Player の動作が遅くなります。
モバイルWi-Fiルーターの無い環境では、スマホ・タブレットも同じ症状を呈するのは、皆さまご存知の通りです。

そんなワケで去年の秋頃から、「私専用のパソコン」だった Windows 8 をスタッフに使わせ、 XP にわざと先祖返りさせ、いろいろなサイトの表示速度を調べてたんですが、Real Player の動作はあまりにも耐え難い遅さでした。

ちなみに現在の「私専用のパソコン」は、Windows XP Professional / Service Pack3 / メモリー約1ギガバイトです。   

(3)三番目の理由


三番目の理由は、必要性が無い事。

迷物講師は、基本的に「ながら族」であり「へそ曲がり」です。

だから、再生プレーヤーは「音声」を利用するのがほとんどであり、「動画」は余り見ません。
自家用車にもカーナビは付けてません(私の頭にはグーグルマップ並みに関東主要都市の地図が入ってます。これ8割方ホント!)。

「へそ曲がり」は、他人からの「押し付け」が嫌いです。別名「お山の大将」。

だから、「にょこっとモニターの右端に宣伝が現れる Real Player の仕掛け」は、私にとっては「押し付け」以外の何物でも無いのです。

宅建倶楽部には、Real Player よりも高機能な業務用の「ファイル形式変換ソフト」「編集(トリミング)ソフト」だって有ります。

総じて、私には Real Player を入れる必要性が無かったというワケでした。

(4)今日の記事は…


今日の記事は、

 ・ 宣伝も嫌いではない
 ・ 動作が軽い高機能のパソコン・スマホ等を持っている
 ・ アフィリエイトも「枯れ木も山の賑わい」と思える
 ・ 動画は大好き
 ・ 「へそ曲がり」ではなく素直な性格

の一つ以上に当てはまる方は、マネしないほうがいいでしょう。
むしろ Real Player を入れた方が、生活が豊かで便利になるかも…。

迷物講師の独断と偏見が、かなり入っている記事でした。

2014年2月22日土曜日

船橋の仙人

(1)


仙人は、中国の三大宗教(儒教・仏教・道教)の道教から来たもので、山の上など高い所に住み、白いひげを生やした老人というイメージですね。

子ども時代からの憧れのオジイサンでした!

(2)


現代風に言えば、ネットやデジタル機器を全部捨てて、誰からも影響されず、淡々として日常を送り、哲学的な思索にふけりながら一生を終える人、という事かな?

(3)


平成17年6月19日(日)に、やはり「船橋の仙人」と題して、下のような記事を公開した事があります。この記事、現在は非公開です。

「… 小学校から高校まで東京の四谷で過ごしました。四谷時代の友達は、まだ7・8人と付き合いがあります。
当時うちが一番貧乏で、他のヤツは今でも金持ちです。
金持ちの一人が今頃いつもパーティーをやるので、今年も誘いを受けたのですが、5年くらい断り続けています。 
なかなか上京しない私を、四谷の連中は『船橋の仙人』と呼んでいるそうです。…」

(4)


平成17年当時なかなか上京しなかったのは、子ども時代から憧れていた仙人と「真逆の発想」をしてたからです。

その当時は、運が良ければ「貧乏人の息子でも一生の蓄えを作れた時期」で、いわゆるネット隆盛以前であり、ライバルも少なく宅建倶楽部が大儲け出来たんですね!

仙人なんてどこ吹く風!
私の心は、新自由主義万歳! アメリカ発のグローバリズム万歳! で充たされてました。

その後、2008年(平成20年)9月のリーマン・ショックの頃から、「何かオカシイぞ!」と疑うようになり、2011年(平成23年)3月11日の原発事故によって、再び、仙人の強烈なファンになりました。

もともと私は、政府・マスコミ・大企業を信用できない性質(たち)でしたが、彼らも日本国民である以上、昔のナチスのように、あからさまに国民の命までは取らないだろうと信じてました。それが裏切られた瞬間が、原発事故後の民主党政府の対応だったのです。

「ネット隆盛以前に運良く儲けたヤツが勝手なこと言ってやがる!」と思われた方もいらっしゃるでしょうが、このウサン臭い「船橋の仙人」も、誰からも影響されず、淡々として日常を送り、哲学的な思索にふけりながら一生を終える予定です。

このブログ、1ヶ月も更新しないと思ったら、3日連続で更新する事があるのも、「船橋の仙人」の淡々とした日常次第! であることを御理解頂けると幸いです。

関連記事


2014年2月20日木曜日

平成26年度宅建試験「実施公告」は6月6日に決定

(1)


宅建試験の「実施公告」というのは、誰が・何時・どこで・どういう方法で宅建試験を実施しますよ! と日本中に「お触れ」を出すことです。
その「お触れ」を出す日が、平成26年(2014年)6月6日(この日は金曜日)に決まりました。

この「お触れ」、昔は宣伝パンフレットや実施機関のホームページでチマチマやってたのですが、今は、国の広報誌「官報」に載せてくれるようになりました。

官報やオサツなどを印刷している印刷局が、大蔵省(財務省)印刷局から独立行政法人 国立印刷局に組織変更された(民営化された)頃から、そうなりました。
とは言っても、昔から官報に載せてもらうには相当前からの予約が必要なので、最近その予約が取れたということでしょう(笑)。

※ 余談

受験者の皆さまは、宅建試験は公共性があるので無料で官報に載せてくれると思うでしょ?
でも違います、有料なんです。それも結構費用が掛かります。
こちらを参照していくら掛かるかを想像してみて下さい。そして、掲載費用は我々の受験料から捻出されている事をお忘れなく!
参考 官報の平成25年度実施公告(PDF)

(2)


実施内容の詳しいことは、東京都のこのページ(PDF) を見てみるといいです。

ざっと言えば、今年の、
 ・ インターネット申込は…7月1日(火)~7月15日(火)
 ・ 郵送による申込は……7月1日(火)~7月31日(木)
 ・ 本試験の日は………10月19日(日)
 ・ 合格発表日は………12月 3日(水)
 ・ 受験手数料は………7千円
という風に、実施公告されます。

なお上記が「確定」するのは、「官報」で実施公告される当日(6月6日)です。

2014年2月19日水曜日

独学合格の心構え

「独学合格の心構え」と題して、いろいろアドバイスしてみました。
長文なので、 宅建の迷物図書館のこちら にアップです。
概略を示すと、下のような事が書いてあります。

【1】卑屈にならない
【2】丸暗記しようとしない
【3】宅建業法を最優先させ、民法はホドホドに
【4】何事も具体的に考えてみる
宅建は、(1)信頼できる教材を使う (2)きちんと勉強する (3)最後まで諦めない、の三拍子を守れば、必ず合格できる試験。
    (1)信頼できる教材とは…
    (2)きちんと勉強するとは…
         (ⅰ)実質的な理由を探る勉強をする
         (ⅱ)堅苦しい言い回しに慣れるようにする
    (3)最後まで諦めないとは…
         (ⅰ)受験動機が一番
         (ⅱ)受験環境の良さが二番

2014年2月14日金曜日

「経済」を考えてみる - バレンタインデーに際して

へそ曲がりの迷物講師が、バレンタインデーに際して「経済」の意味を考えてみた記事です。

(1)「経済」の伝統的な意味


元々わが国には、「経済」なんていう単語は有りませんでした。

江戸時代まで使われていた経世済民(けいせい・さいみん)という言葉を、明治になって誰かが省略して「経済」となったのです。

この経世済民は今でも国語辞典に載ってますが、世の中を治め庶民の生活を安定させるという意味です。

だから「経済」の伝統的な意味は、「庶民のために良い政治をする」ということです。

(2)現代の意味


それがどうでしょう。

いま開かれている国会でのやりとりを聴いてると、「どんどん消費を拡大させ、みんなが利潤を上げ、誰も損しないようにする」のが経済である、と勝手な意味を与えてますね(こんな意味は国語辞典に載って無いです)。

与野党とも、あるいは、すべてのマスコミの論調も同様に思えます。

(3)その昔


ところで中学生の頃は結構モテタので、2月14日の前日になると、「オグチ君、明日チョコレートあげるね!」とミーハーな女子同級生から事前告知され、当日は普通の板チョコをもらった経験が有りますが、バレンタインデーなんてのは全然知りませんでした(ミーハー以外の普通の女子中学生も知らなかったようです)。

それでも何とも言えない、「誇らしげな幸福感」がありましたね!

わが国の菓子メーカー等(いろいろな説が有ります)が仕掛けたとされるバレンタインデーに女性がチョコレートを贈る習慣。
今では完全に定着し、義理チョコ禁止令が出る職場まで現れる始末。

女性がチョコレートを買ったお金は、当然チョコレートメーカーに渡ります。
その途中のチョコレートを運ぶ流通業者や、チョコレートを売る小売業者にもお金が回ります。チョコレートの材料(カカオ豆)を売った外国にもお金が還流します。

その昔はホワイトデーなんか無かったですが、今ではこれも定着したので、その分のお金も世界中を還流します。

まさに、「どんどん消費を拡大させ、みんなが利潤を上げ、誰も損しないようにする」のが経済であるかのように教育する分かりやすい例が、今日のバレンタインデーのような気がします。

(4)ECONOMY


「庶民のために良い政治をする」から「どんどん消費を拡大させ、みんなが利潤を上げ、誰も損しないようにする」に変化してしまった「経済」の意味。

お題目は立派そうだけど、

 ・ どんどん消費を拡大させる
      ↓
  ・ みんなが利潤を上げる
      ↓
  ・ 誰も損しない

と、盲目的な意味を「経済」に与えてしまって本当にいいのでしょうか?    
どこかに落し穴はないのでしょうか?

国語辞典には、「経済」についてもう一つの意味が掲載されてます。
それは英語のECONOMYに由来するもの。

飛行機の ECONOMY CLASS や ECONOMY CAR(エコ・カー)でお馴染みのあれです。
こちらは、節約・倹約という意味ですね。

ゴチャゴチャ書いて来ましたが、資格試験くらいはエコで行きたいもんです。
「どんどん消費を拡大させる」ことに基本的な疑問を持つ私の正直な感想としては、やっぱり宅建もエコですね。

皆さまがエコを貫いて合格した時、私が中学生の頃に経験したような「誇らしげな幸福感」を味わうことでしょう!