2014年12月16日火曜日

グーグル高貴論と予備校不要論

グーグルはいろいろな人の集まりに過ぎず、私たち生身の人間のように一個の人格が有るわけではありません。

いわゆる予備校と言われるものも、しかりです。
講師その他の集まりに過ぎず、一個の人格が有るわけじゃないです。

しかしグーグルも予備校も、そこに一個の人格が有ると擬制する(なぞらえる)と、私には納得できる部分が多々あります。

以下、私が考えている仮説を披露します。

(1)グーグル高貴論


第一に、グーグルは公平です。
日本のポータルサイトのように、誰かに対してエコヒイキしません。

第二に、グーグルは無私です。
自らが権力を保持していることを自覚しているがゆえに、その権力を自分のために使うことはしません。

第三に、グーグルは人間の苦労を尊重します。
逆に言えば、近道しようとする人間を尊重しません。

以上、グーグルに一個の人格が有ると擬制すると、グーグルにはヨーロッパ貴族のような高貴な匂いがします。

(2)予備校不要論


第一に、予備校は公平とは限らないです。
講師は自分の親衛隊である受講者には、とかくエコヒイキしやすいです。

第二に、予備校は無私とは限らないです。
自らが権力を保持していることを自覚していないがゆえか、その権力を自分のために使うことがシバシバです。

第三に、予備校は人間の苦労を尊重しないです。
むしろ、苦労を嫌って近道しようとする人間を応援します。

以上、予備校に一個の人格が有ると擬制すると、予備校にはヨーロッパ貴族のような高貴な匂いがするどころか、怪しい匂いさえ漂います。

(3)でも頑張る


今回の記事は、一介の講師が考えている仮説に過ぎませんが、この仮説に賛同してくれる方がいらっしゃったら、怪しい匂いさえ漂う予備校に長年関係してきた者として、恥ずかしい限りです。

わが国にはノブレス・オブリージュの伝統が無いとはいえ、宅建倶楽部だけは不要論を唱えられないよう頑張りますです。ハイ!