2014年3月14日金曜日

鈴懸の径(すずかけのみち)

1.

私が中学3年の時、「四ッ谷駅での待ち伏せ、尾行を数回繰り返した後、表現しようのない女子学院の美人とデートした!」みたいな話を、平成18年12月に公開しました。

こちら

上のリンク先を公開した時、「この先は、気が向いたら書きま~す!」と予告しましたが、今日やっと気が向いたので、この先を書きま~す!

2.

彼女とのデートには、必ず、プラタナスの散歩径(みち)が含まれてました。
どこへ行ったかは実にイロイロでしたが、常に、プラタナスの散歩径がデートコースに組み込まれてました。

彼女はプラタナスが、大の大好きだったから…。
すぐに私も洗脳され、大の大好きになりました。
時は1963年(昭和38年)~1965年(昭和40年)に掛けてです。

その後、イロイロな女性と恋をしては振られ、1979年(昭和54年)に看護婦(師)だったうちの奥さんと結婚しました。
それから2014年(平成26年)の今の今まで、私は、あの時の彼女以外とプラタナスの径を散歩したことは、一度も無いです。

なぜって、私の脳裏に生きている彼女は、あの頃の初々しい可憐な姿でしかなく、私と違って年を取ることは絶対にないし、プラタナスと彼女を切り離すことは誰にもできず、させたくないから…。

3.

プラタナスは、鈴懸(すずかけ)と言われることもあります。

不思議な縁で鈴木章治さんの「鈴懸の径」に出会った後も、あの時の彼女以外の女性とプラタナスの径(=鈴懸の径)を散歩したことは、一度も無いです。

あの名演奏といえども、プラタナスと彼女を切り離すことなど絶対にできないのです!




鈴木章治さんは、1995年(平成7年)に63歳の若さで亡くなってしまいましたが、私が大学浪人を終えて渋谷区※※に住んでいた時、目と鼻の先にお住まいでした。
息子さんが私の弟と※※小学校の同級でイロイロ可愛がって下さいました!