2014年2月27日木曜日

弱者は、強者と敵対関係にあるべきか?

(1)イントロ


世の中には強者と弱者がいます。
何について強者か弱者なのかは、無数に分類できるでしょうが、典型的には、

 ・ 人種における強者と弱者 … 例:白人は強者とされる
 ・ 信条における強者と弱者 … 例:共産主義者は弱者とされる
 ・ 性別における強者と弱者 … 例:女性は弱者とされる
 ・ 身分における強者と弱者 … 例:国会議員は強者とされる
 ・ 家柄における強者と弱者 … 例:親が強者だと子も強者とされる

といった所でしょうか?

(2)強者からのメッセージ


全知全能の神が登場した後も、また、わが国では天皇家によるヤマト統一後も、強者から弱者へ向けて、数々のメッセージが発せられてきました。

民は生かさず殺さず!」が、強者の根本理念だからです。
これは、今でも脈々と受け継がれていて、洋の東西を問いません。

民(民衆)は、「生かしてしまったら自分が強者から転げ落ちる!」し、「殺してしまったら搾取できなくなる!」という事です。

でも科学の発達と共に、単なる「民は生かさず殺さず!」ではやって行けない事を、強者は悟ります。
こりゃ、もっと弱者に配慮してやらないと、やって行けんわい!」となって来たのです。

科学の発達度に比例して、民が「自然に対する恐怖心を失ってきた」からでしょう。
だんだんと自然を怖れなくなってきた民は、人間としての不満の矛先を、その時々の強者に向けるようになりました。

その象徴的な出来事が、18世紀後半のフランス革命だと思います。
「パンがないならケーキをお食べ!」なんていうマリー・アントワネットの配慮は、既に陳腐化していて、最後はギロチンに掛けられちゃいました。

この惨状を見ていた世界中の強者は、「こりゃ、もっと弱者に配慮してやらないと、やって行けんわい!」と肝を冷やしたことでしょう。

結果、フランスでは自由・平等・博愛を旨とする人権宣言が発せられ、強者からのメッセージの集大成とも言うべきものが、わが国では日本国憲法14条1項になりました。こんな条文です。

第14条
1項
すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地(もんち・筆者注:家柄のこと)により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

なお、この日本国憲法の条文、実は全部が、戦前の帝国憲法(明治憲法)の改正法です。
「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」なんて書いてあったのが、帝国憲法です。

だから、上の日本国憲法14条1項は、あくまでも「強者からのメッセージ」と言えるのです。

※ 参考 日本国憲法の制定文

朕(ちん・筆者注:昔天皇は自分のことをこう言った)は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、樞密顧問の諮詢及び帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。

(3)迷物講師の学説(?)


重要なのは、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と書いてある日本国憲法14条1項は、あくまでも「強者からのメッセージ」に過ぎないという事です。

強者の根本理念は、洋の東西を問わず、今でも「民は生かさず殺さず!」です。

ただ昔と違って、「こりゃ、もっと弱者に配慮してやらないと、やって行けんわい!」という強者の悟りが、強者ごとに微妙に違ってきているのは確かですが…。

昔の悪代官よろしく「全然弱者に配慮しない強者」もいるかと思えば、「仏様みたいな強者もいることはいる」という現状認識が、迷物講師の学説(?)です。

(4)弱者からのメッセージ


「民は生かさず殺さず!」が微妙に変化してきたのが「強者からのメッセージ」として、古来、弱者からはどんなメッセージが発せられてきたのでしょうか?

何も発せられなかったに等しいです。

当然と言えば当然でして、メッセージを発するには学問・教養が不可欠でしょう。
字も読めない、教養を身につけるお金もない民が、日本国憲法14条1項のようなメッセージを発するのは不可能です。

夏目漱石・宮沢賢治・太宰治などが発した弱者の立場からの文学的メッセージだって、疑わしいです。そもそも彼らの門地(家柄)は強者です。名主や造り酒屋の家系だからこそ、学問や教養を身につけることが出来たんだし…。

メッセージを発することができない民は、日本流に言えば、百姓一揆や米騒動という暴力に訴えました。しかし、それもほんの一部に過ぎません。

大多数の民はせっかく人間として生まれてきたのにその不満の矛先を誰にも向けることなく黙って一生を終えて行ったんですよ

(5)だったら、どうすればいいの?


強者と弱者は敵対関係にあるという発想を改めよう

そうすれば、百年後・千年後を見すえた人類の幸福につながります。
私が昔から考えていた事です。

そして両者の敵対関係を改める一番いい方法は…
 弱者が強者をソロバンで説得する
事です。
初期の説得は、これがベストだと今でも考えています。

何しろ、「民を殺してしまったら搾取できなくなる!」というのが、脈々と受け継がれてきている強者の根本理念なので、「そんなことないですよ弱者にもっと配慮してやればもっともっと儲かりますよ」、とソロバンで強者を説得するんです。

例えば、「パラリンピックはオリンピックと同時開催しましょうよ。そうすれば、2020年東京五輪の視聴率なんて、1964年のそれをきっと超えますよ。ビッグ・データをスーパーコンピュータで解析してみれば分かりますよ!」、と近代五輪の家元であるヨーロッパ貴族等を必死で説得するんですね。

ついでに、「2020年の頃は、経済格差がもっと開いているので、入場券をこれだけ安くすれば、ソチ五輪のように空席が目立つこともなくなるから、一石二鳥じゃないですか!」と、やっぱり必死で説得するんです。

この説得、もちろん東京五輪だけじゃないです。
現在強者が握っているとされる、あらゆる経済活動に効き目があります。

話を小さな小さな経済活動に振ると…
私の行動にも、「弱者が強者をソロバンで説得する!」面が隠されています。

例えば、迷物講師が独学を推奨すれば、強者(大手予備校)も「自社でも独学をキーワードにするとソロバン的にどうか?」を考えてくれたりします。

さらに、頼まれもしないのに、宅建倶楽部では大手予備校にリンクを張っています
これも実は、「弱者が強者をソロバンで説得する!」手段なんですね。

宅建倶楽部からのリンクをたどって15万円の講座が少しでも売れれば、資本という力が弱者である宅建倶楽部に「もう少し配慮してやってもいい!」と考える可能性が高くなります。
これは最近私が発明した、「ネット上での無言の説得」というやつです。

以上のように、
 ・ 弱者が強者をソロバンで説得する!
という初期の説得が進んできたら、次は二番目の手段(ソロバン以外の手段)で、
 ・ 弱者が強者を説得する
のがいいです。

と、ここまで書いてきてそろそろ話をオシマイにしますが、二番目の説得手段(ソロバン以外の説得手段)は、いろいろな可能性(アイディア)が有り過ぎまして、皆さまに発表する段階じゃないです。

それより、これだけネットが発達してきた今、皆さまとしても、
 ・ 弱者が強者をソロバンで説得する!
もっと強力な手段を考案してみてはいかがでしょうか?

逆説得(ぎゃく・せっとく)に当たる不買運動くらいじゃ、「こりゃ、もっと弱者に配慮してやらないと、やって行けんわい!」という強者の心をさらに促進させることは、不可能だと思いますよ!
強者は、「人のウワサも75日」と嵐が過ぎ去るのを待つだけなのは、歴史の教えるところです。